「よくない知らせがある……君はB細胞慢性リンパ性白血病だ」
医者がベロニカに告げる無常なる事実。彼女は同じ病気で妹を、母を失ったのだ。今や天涯孤独の上に、難病の宣告!
ベロニカは医者から勧められた抗がん剤治療を断ると天に中指を突き立てる!
「Fuck You!」
ベロニカの闘病生活が始まった。
薬を飲み、走り…そして…
「いい知らせがある!」
医者の笑顔にベロニカは奇跡を感じた!
彼女は病院を出ると天に微笑みかける。
「ありがとう……」
喜び帰路につくベロニカ。
だが、運転中、謎の閃光に包まれ、気が付くと
見知らぬ場所にいるベロニカ!
動揺する彼女の周りには、これまた動揺する見知らぬ人々
頭の中には淡々となぞのメッセージが聞こえ、パニックになった男が
ベロニカにぶつかった。
よろりと立っている場所から半歩ずれて、草を踏む彼女。
次の瞬間、肉のきしむ音ともに
ベロニカの頭は吹き飛んだ。
それがヒューマン・レースの始まりの号砲だった……
評価:
必見!
コースから外れたら死亡!
レースを拒否したら死亡!!
周回遅れになったら死亡!!!
ついでに草ふんだら死亡!!!!
という、
単純明快、ぶっちぎり不条理のレースの開幕である!
勿論すぐに思い出されるのは、キングの
死のロングウォーク。
あれに頭が吹っ飛ぶ系の映画
ウェドロックとか
バトルロワイヤルとか、そういう風味が足してあるわけですな
ベタっちゃベタな設定で、そりゃもう
宗教家は出るわ、
殺人集団は出るわ、
怪我する姉弟はでるわで、
お約束のオンパレード!
むき出しの人間がぶつかる阿鼻叫喚の地獄絵図になっていくわけですな。
なんかもう出店のように様々と!
ただ、この映画の素晴らしい所は前述の頭が吹っ飛ぶ映画と違って
仕組んだ側が、まったくこちらに関わってこない。
ついでに言えば、頭が吹っ飛ぶ仕組みもわからない。
だから「よし、何とかこの装置を外して…」となれない。
更に言えば、
ゴールの先に何があるのかも明示されない!
ともかく、誰かが走り出しちゃったから、止まれないんだ!
だって止まっていたら死ぬんだもの。
という
観客がひたすら登場人物に同情せざるを得ない状況が
延々と続く。
しかも冒頭から
主人公と思ってた女性が死亡!
普通の映画なら避けて通るナニが次々と死亡!!
病気の爺さん!
妊婦!
アッラー!
で、
リーダー格として話を引っ張ってきた奴が
後半死亡!!!
しかも人に殺されるのだ!!
すげーあっさりと!!!
え?この映画どうするの?……と思っていたら
なんとここで映画はジャンルチェンジ!
ダークヒーロー物になってしまうのだ!!
というわけで、本当の主役はこの人
エディさん
この人、映画の序盤から背景が語られるんだけど
それはリーダーになっていくジャスティンの背景の一部として
語られるんだよね。
つまりは
相棒役で、もっと言えば
脇役だ。
でも、よーく見ていると、この人
酔っぱらって自堕落な生活をしているように見せかけて
いざレースが始まると
健常者もかくやという
スピードでレースをしてるんだよね
で、事あるごとに
結構残酷な事をさらりと言って
ジャスティンにいさめられる
つまり、エディにとって、
自分を戦争で救ってくれたジャスティンは
善というか、人間の良心の象徴だったわけですな
わかりやすい服の色
彼が非情でいかに現実を見ているか、というのは
ジャスティンを殺した連中と戦闘になる時に
松葉づえに頼らないでも、人を殺せるぐらいに鍛えていた、という
所からわかるわけで、そうなると彼の序盤のぶっきらぼうな態度は
ジャスティン=善意に甘えて、
現実の辛さ、及び
それに対処できてしまう自分の凶暴さを
ちょっとでも忘れていたい…という
悲しいエディの感情の表れだったのかなと。
この瞬間、エディは二度目の死を迎えたわけですね。
この髭面!
以降、エディは
邪魔になるやつは全員ぶっ殺すモードに突入
この後、彼が
クライマックスまであまり映らなくなり
ドンドン人がカウントされて減っていくのが不気味だ
勿論彼がやっていないように思えるが
やってない証拠は何処にもない
クライマックスで、聾唖の女性を助けたのも
同じ障害者として同情した、ってだけのようにしか見えない
しかも相手は躊躇なく殺す
で、ここでエディ(
の人間性)は
三度目の死を迎え
我々視聴者も「ああ、こいつは本当に強い」となったところで
エンディングです。
『戦いの後には、戦いしかなく
その先に何があるのか判らない』
ベタっちゃベタな虚しいメッセージが、ラストのエディがやる
首コキッと
闘争心溢れる目で、ポジティブなメッセージが追加される嬉しさ
『それでもやるね』
この感じ!嫌いじゃないですよ!
暇なら見るべし!!