新海誠監督の作品は「ほしのこえ」以来見ていなかった。
学生の時に「ほしのこえ」を観て、自分には合わないと強く感じたからだ。
で、それから幾年月。
大ヒット御礼のテレビ宣伝を見ながら、ネタ枠として観に行ってみるかなとちょっと考え、そのうち段々と行きたい思いが強くなり、ツイッター上で「いいですよ」と奨められたのが決定打になり鑑賞にでかけた。
とはいえ、アニメ映画を観に行くのは
凶悪作品「風立ちぬ」以来。
あれ三回も行ったんだよなあ
年もとったが、さてさて…
で、前半はちょっと乗れなかった。
OPが気にいらねえ!とか、胸を揉む天丼ギャグうざくね?とか
つっこまれる歌が合わねえ、とか。
ところで、私は事前情報を全く入れてなかった。
だからなのか、
中盤以降いきなり面白くなってしまい、戸惑ってしまった。
結果……
いや、面白かったよ。すげー面白かった。
勿論、傑作かと聞かれると「そこまでのものじゃない」と思うんだけど
王道のお話を王道で〆るってのはとても難しいわけで、だからして
主人公二人のラブストーリーは楽しめた。
美術も良い。動きも良い。
で、演出も大変良い。
いや、登場人物が自分の考えを絶叫する「うーん」という場面もあるにはあるんだけど、それが気にならないくらいに、
絵で語る場面が多くてですね
もう「ほしのこえ」の記憶自体が擦れてしまっているからこそ、それがかなり新鮮に目に映るんですね。
例えば、脇役のテッシーが
クライマックスでなんであんな計画にノリノリで参加したかってのが、ちゃんと事前に全部説明されているし、それがキャラクターの造形に繋がっている。それに引っ張られていく早耶香の秘めた心情とか、こう
強引じゃない感じでこっちに伝わってくる。
主人公二人に関しても、
いつの間にかお互いが好きになってる感がじわっとくる感じになっていて、だからこそ、最後の起爆剤になる掌の文字が
多分、観客全員が
「そう書いてあると思ったよ」とホッコリできるんじゃなかろうか
(
というか、タイトルの為にあそこで書くわけにはいかんのだけどね)
で、中盤以降の展開ですよ。
うっかりラブコメみたいな今までのどーにもたまらん前半のシーンが一気に伏線になる、当たり前なんだけど中々できないシーンの数々。
俺が嫌で仕方が無かった、胸を揉むシーンが
(
と言いながら、自分でこういう作品を書け/描けと言われたら絶対いれるんだけど)
まさかゲラゲラ笑えるギャグになるとは思わんかった!
ってか、それが物語的に
主人公の苦悩の果ての到達点でぶちかまされる!
この、必要以上に臭くならない、なってるけど、すぐさま脱臭するのが、巧い。
実に巧い。
青臭い作品も大好きだけど(
それを悶えながら観るのも好きだけど
こういう
客に対する駆け引きも大好き。
ここがクライマックスじゃないっすよ!この後っすよ!
ほら、まだ
あれが残ってるでしょー的なね。
で、これまた俺が眉をしかめたOpですよ。
まあ、あれです。私のキンドルで出している短編の一つを読まれたかたなら判ると思うんですが、
私、ああいうのに弱いんだよね……
あのOpに対する、クレーターの縁での瀧の台詞とか
「くぅーっ!良い台詞ーっ」とか悶えちまいますなあ。
で、まあ最後まで観るとですね、なんか凄く
バランスが良いんじゃないかと。
情報を詰め込んではいるけど、詰め込みすぎてはいない。
情報が情報として、作品の背景として機能している。
抑制がとれてる。
そういうものがこの作品には確かにあると感じられた。
それだけでも、この映画を観た価値はあった。
聞く所によれば新海誠の作品群において、「君の名は。」は作家性を極力外に出さないように撮ったものだという。その真偽は判らない。
だからして、これから新海作品を見て確かめてみるか、という嬉しい考えが浮かんできたりする。
つーわけで今更ですがお薦め!
お約束満載なんだけど、それが嫌味にはなってない…かな。
一葉ばーちゃんがあっさりと違う人間と見破る所最高!
さて、ここから下は、本当に独断と偏見と妄想に満ち満ちたいつものやつです。的外れも甚だしい!
でもそう思っちゃんだから仕方ない!
だから俺はこの映画が好きなんだ! という、いつもの奴が始まるよー
雑誌のインタビュー等は一切読んでないし、テレビの特集も見ていない。
だからして、かなりの的外れになるとは思う。
私が中盤以降、劇場で身震いしたのは
これが「シンゴジラ」と同じく「震災映画」だったからだ。
2011/3/11に起きた東日本大震災。
あの日の事を思う人で、こう妄想した人は絶対にいたはずだ。
「タイムスリップができたら……あの日の一日前、いや、震災の一時間前でいい。あの日、あの巨大な津波がくるということを警告できたなら……」
この映画はそういう、ネットでも時折見かける、あの日を体験した日本人ならば誰もが一瞬だけ考えた、妄想から出発した、もしくは影響された作品なのではないか。
(
主人公が東京に住んでるってのが、また)
時間や場所を超えた男女の出会いの話は幾つもある。
でも、今までのどの作品よりも、この二人を応援したくなってしまうのは
つまりそういうことなのではないか?
二人が結ばれないと、あの震災に打ち勝たないと、
もうたまらないんだ!と胸がいっぱいになってしまった人がいるはずだ。
東日本大震災の時に提唱されてけど、あまりピンとこなかった
「絆」
それをこれは
「組紐」として、
「断とうにも断ち切れない、人の結びつき」として表現したものなのではないか。
東日本大震災という動かしがたい、現実。
それに対し、全てを知ったうえで、ちっぽけな数人で最後の最後まで抗ったらどうなるのか?
そういう妄想や夢、もっと言えば
「過去に対する祈り」みたいなものをこの作品は「娯楽」として描き切り、昇華させたのではないか。
私は、あの震災以降。
震災をテーマにした娯楽映画が観たいと強く望みながらも、観たくないとも強く望んでいた。
それが、今年、思わぬ形で目の前に二つ現われ、そして私が想像する限り最高の「震災映画」となっていた。
本当に良かった!
以上!
ところで、夢、というものは目覚めてしばらくすると記憶が曖昧になっていくものだ。
だけど、正夢。
それは違う。
ある日ある時ある場所で、夢と現実が交差した時
その記憶は鮮やかによみがえる。
だからして、最後のあの台詞の後は
二人とも答えを聞く前にお互いの名前を読んだんじゃないかな。